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「おいしい」って想う気持ちと、ぼくらが大好きな「音楽」は似ている。それって、ありきたりな感覚かもしれないけれど、今日はすこしだけ噛み砕いてみる。

 

たとえばレシピにおける材料はアンサンブル。味というより「香り」だと思う。調律。その証拠に、香水など、昔から「香り」はよく音階で表現される。味はプレーヤー。またはプレーヤーの個性だね。調理の仕方によって同じ材料でも甘みや辛みが違ったりする。生で食べても甘くない野菜も、火を通すと、あまくなったりする。逆もしかり。いい。ただし、料理はそこにポンと置いたって、勝手においしくなってはくれない。

 

センスのいい料理人がいて、はじめておいしくなる。

 

伊豆を拠点に、CD のリリースだけではなく、野外フェス「イズヤングフェス」の主催など、D.I.Y な活動を続けてきたバンド・ヤングの高梨哲宏は、ヤングのギターボーカルでもあり、ラーメン屋「だんす」の店主でもある。つまり、上記における、料理人だ。

 

その「ヤング」と「だんす」が、今年の春と夏に惜しくも解散(閉店)すると聞いて、ぼくは慌てて、彼に「会いたい」と連絡をすることになる。

 

PHOTO&TEXT:JUNYA KATO(PARK INC.)

 

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加藤 だいたいいつもあんまり質問とかはしてなくてさ、なんとなく肩書きを聞くところからゆっくり始めてて。

 

高梨 うーん、肩書き。すげー苦手なヤツですね…。昨日の夜も友人とサイゼリヤでずっとそんな話してて。自分の「役割」について。

 

加藤 音楽系は肩書き苦手なひと多いね。ミュージシャン、アーティスト。しかもてっちゃんって、ラーメン「だんす」もそうだし、別に音楽だけをしているわけではないもんね。

 

高梨 そうなんですよね。なので自分の肩書きとかも含めて今までけっこう見え方とかずっと意識してきて。で、今年のはじめくらいですかね、もうあまり客観的に自分を見たくないなと。自分で肩書きをつけたくないって。そういう時期に。

 

加藤 「普通の男の子に戻ります」だ。

 

高梨 そうですね(笑) 洗濯したり、ラーメン作ったり、時々うたったり。

 

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加藤 そもそもヤング(旧:乍東十四雄)をはじめたきっかけは? 音楽がすごく好きだったとか。

 

高梨 いや、そこは普通でしたね。ミスチルとかサニーデイ・サービスとか聞いてました。バンドをはじめたのは兄の影響ですね。兄がずっとバンドをやってて、部屋にたくさんCDがあったんですよ。それで、気になったのを借りていろいろ聴いて、イヤなものは排除して、好きなものを聴き込んでいくうちに高校の友達と一緒にバンドをやってみようと。ただ、高校卒業するとみんな上京とか大学とかでバンド辞めるじゃないですか。でも、自分はその理由だけでバンドを終える事ができなかった。で、あまり友達も多くなかったんで、高校の後輩に「バンドやろう」って誘って。それがいまのベースとドラムですね。宮地との付き合いは8年前くらいからですね。ファンからはじまって、バンドの映像録ってくれて、その後ステージにあがってもらうことに。

 

加藤 ヒロシくんは?

 

高梨 いや。彼だけ同級生だったんですけど、バンドに誘ったら、なぜかマネージャーをやるって言い出して。「俺は表舞台に立つような男ではない」って(笑) カセットテープ音源を量産したり、スタジオに毎回見に来たり、ライブについてきてくれたり。

 

加藤 ヒロシくんがマネージャーからギターになったエピソードが気になるな。

 

高梨 あぁ(笑) それがですね、ある日、ヒロシがふと「俺がもしギターやったらナンバーガールの向井秀徳のサウンドを再現するな」って言いだして。「むむ…これはもしかして…ギターやりたいのかな…」と。あいつ、そういうやつなんですよ。空気を呼んで誘いました。でもギターやりはじめたとたん全然ちがう感じのギター弾きはじめて。

 

加藤 いいエピソードもってるなぁ。

 

高梨 そういうやつなんです(笑)

 

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加藤 乍東十四雄って名前の由来は?

 

高梨 ベースの俊くん誘ってはじめてスタジオ入った時に、高校の後輩とは言え、ほぼ初対面だったんですけど、あ、でも、彼、高校で一番ベースがうまいっていうので有名で、だから他からも誘いがあって、僕とのバンドは半年って期間限定の約束だったんですよね。まぁ期間限定でもバンドできるならいいやって思いつつバンド名なににしようかって聞いたら、「青春っぽいのがいいです」って。でも、ぼく、イヤで。その当時、GOING STEADY(現・銀杏BOYZ)が大好きだったんですけど、同時に青春みたいなのが大嫌いな時期でもあって、そのまんま青春パンクっぽい名前はイヤだから、ちょっと皮肉を込めて、青春は「甘くてしょっぱい」から「砂糖と塩」って名前にしようって。そしたら俊くんの友達のお父さんがたまたま「佐藤としお」で。まぁ半年だし「佐藤としお」でいっか、って。

 

加藤 普通そこで「いっか」ってならないよね(笑)

 

高梨 ですね(笑) そしたらそのまま7年続いちゃって…。乍東十四雄が7年。ヤングが4年ですね。解散のタイミングでちょうど11年ですね。

 

加藤 ずっと伊豆?

 

高梨 いや、フジロックに出させてもらったこともあって、東京でのライブが増えてきて、月に6本くらい東京でライブやってたんですよ。それに、伊豆から遠征だと、打ち上げに参加できなかったりして、ライブももちろん大切なんですけど、その日の共演者との交流も大事なんだなって思ってた頃だから。これじゃあ広がっていかないなって。じゃあそろそろ住まないと、と思ってみんなを説得して一緒に上京したんですけど、それが2011年だから震災のすぐあとで。でも、静岡にいたからあまり東京の混乱がわかってないまま行ってしまったんで、行ってから気づいたんですけど「あ、今の東京で乍東十四雄をやっててもダメかも」って思っちゃって、戻りました。一緒に来てくれたメンバーにも「なぜ帰るのか」っていうのを説明して、で、俊くんとヒロシが東京に残って、ぼくとドラムのライダーは戻りました。それでしばらく遠距離バンドに。

 

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加藤 当時は売れてやろう!みたいな気持ちはあったの?

 

高梨 いま思えば「なかった」かもしれないです。売れるってあんなもんじゃあ無理だったなって。フジロックに出るまでは音楽事務所と密接な関係があって「売れてほしい」っていうバックアップもあったり、レコード会社のひとたちがたくさんライブを見に来てくれて、それなりに「売れるかも」と思っていたんだと思います。けど、フジロックのライブを境に、一気にバーンと、心が折れたんですよね。自分の中で最高のライブをしたつもりが、事務所の皆さんの反応が…(笑)。もうボロボロでした。そのうちだんだん誰に向けて音楽をやっているのかわからなくなってきちゃって…。そういうの苦手だし…とにかく……とにかく辛かったですね。ああいう気持ちになるのは。それで、事務所の方々とは離れて、自分達の活動を見直して、整理していきました。

 

加藤 なるほどなぁ。そのタイミングでヤングに?

 

高梨 いや、もう少し後ですね。ただ、その辺うまく説明できなくて。

 

加藤 静岡在住の佐藤俊夫さんからクレームが入ったとか?

 

高梨 いやいや(笑) 「なぜヤングなのか」っていうのはもういろんなひとに100回くらい聞かれてきたんですが、なかなかうまく話せなくて…。ただ、…乍東十四雄って、フジロックのあとに僕の落ち込みのせいで解散しそうになったんですよ。俊くんもライダーもやめちゃって。でも、そのまま落ちぶれて解散するっていうのがイヤだったんですよね。じゃあ、せめて自分たちの目標を達成させて、納得して辞めようって。ふたりにまた戻って来てもらって、辞めるためにはじめたバンドが「ヤング」ですね。

 

加藤 おおお。そうなんだね…。ちなみに目標って?

 

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高梨 自分たちが手づくりで作って来た『イズヤングフェス』の成功です。ヤングにしか作れない空間と時間で居合わせた人を笑顔にする事。そして入場無料で、運営側が赤字にもならなくて、出演者にギャラも支払えて、自分たち主催のフェスを既存のシステムに頼らなくてもやれることを証明して、解散しようって。そのためのバンド名に個性はいらないかなって。イズヤングフェスの『ヤング』を抜き取った感じです。できるだけ誰のものでもないし、誰のものでもある名前にしようかと。イズヤングフェスの、会場にいた誰もが「ヤング」で、その空間が「ヤング」だって思えるような名前に。

 

加藤 なるほど。たしかにイズヤングフェスって、みんなのものって感じがするね。

 

高梨 あとは恐怖ですよね。またフジロックの後みたいな挫折を自分は味わいたくなかったし、メンバーにも迷惑をかけたくなかった。ピークがあれば必ず落ち目が来るから。メンバーのためのバンドでもあるのにメンバーを不幸にさせるわけにはいかない。終わる時はメンバーにとって「成功体験」として終わらせて、ひとりひとりのその後の人生の糧にしてほしい。だから、解散するときはみんなに惜しまれたかったし、やってよかったって思えるような終わり方にしたかった。

 

加藤 きっとてっちゃんもヤングを糧に進みたいところがあるんだろうねきっと。

 

高梨 そうですね。それもきっとあります。自分一人の力ってどれくらいあるんだろう。自分って自立できてるのかな? って。それで去年から少しずつソロをはじめるようになったんですよね。それで3本ライブやってみて、違う道が見えたっていうのもあります。新鮮でした。こうやって加藤さんと向き合って話をする感覚で唄えたんですよね。ヤングは逆で、ライブをショーにするっていう感覚でやってたところもあったから。もしヤング以外で、音楽を続けるとしたら、これならできるんじゃないかな。誰も傷つけない気がするし、イヤじゃない。

 

加藤 優しい選択だね。てっちゃんの作るラーメンみたいだ。

 

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高梨 最初の肩書きの話に戻るんですけど、もうヤングの時みたいに客観的に自分のことを見るのは辞めて、できるだけ客観的にならずに、ありののままの自分を出して行けたらいいなって思っていて。ヤングは解散するし、「だんす」は今年の夏に閉めるけど、ソロとして音楽はやっていこうと思うし、兄のラーメン屋の手伝いは続けようと思ってます。だって食べ物と音楽って、リンクする部分がむちゃくちゃ多いと思うんですよね。でもやっぱり明らかに違うってこともわかって。だから面白いというか。やりかたは今後かんがえていかないとなって。組み合わせた時に事件になるような場所を作りたいなって。で、この前、やっとそれができそうな場所を見つけて。

 

加藤 おお。嬉しい知らせ。

 

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高梨 それも伊豆なんですけど、兄のラーメン屋「ろたす」を新装開店して、その建物内にイベントスペースを併設できるような物件が見つかって。そこで、イベントを企画しながら、時々じぶんも唄ったり、平日の夜限定ですが、「ろたす」として僕の創作ラーメンを提供させてもらえる事にと。

 

加藤 すごい。前進だね。ひとまずファンの心境としては、良かった…。

 

高梨 ありがとうございます。だから、5月23日の、最後のイズヤングフェスを必ず良いものにして、新しい場所でまた進んで行けたらって思ってます。

 

加藤 うん。また伊豆に何度も旅しに行くことになりそうだね!

 

高梨 ぜひ遊びにきてください!

 

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高梨 哲宏 / ヤング

 

伊豆の野外フェス《IZU YOUNG FES》の主催等、ローカルでDIYな活動をするバンド「ヤング」ギターボーカル。ラーメンだんす店主。

 

2015年5月ヤング解散。同年夏「だんす」閉店。今後は高梨哲宏として、伊豆を中心に、音楽やラーメンだけではなく幅広く活動。

https://twitter.com/takanashitetsu

 

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