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例えばジャクソン・ポロックの絵を見た時に、作家の、その作品に対する意図や、筆圧や色彩のロジックに関係なく、その絵からたくさんのメロディが溢れてきて、それが音楽に聞こえるなら、ぼくも音楽家を目指したかもしれない。
共感覚。
例えば絵や色や景色。見たものから音楽が聞こえたり、音楽から、絵が見えたりする能力(色聴ともいう)。ぼくにはそんな能力はない。けれど、想像するくらいはできる。言葉のない音楽に、訪れたことのない街を見ることもあるし、穏やかにたゆたう海を見てると、唄いたくなる。
thai kick murphミヤオヨウの歌には景色がないと思っていたことがあって、それに物足りなさを感じる時もあったし、逆に言えば、誰にでも似合う服のような、着心地のよさを感じたこともある。
それに、彼女みたいに歌が唄えたら、景色はもっときれいだろうなって思った。ぼくらの音楽をもっとゆたかにするための、とあるニュートラル。
PHOTO&TEXT:JUNYA KATO(PARK INC.)
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加藤 前回 NEUTRAL に出てくれたウチヤマくんが言うには、thai kick murphの前に、そもそもベースのえっちゃんと、高校から一緒にバンドをやってたって聞いたのだけれど。
ミヤオ そうですね。えっちゃんとは高校が同じで、ふたりとも軽音楽部だったんですよ。部室がプレハブで、ドラムセットもアンプも一式そろってて。もともと中学の時にすでにバンドやりたいって思ってたんですけど、自分が住んでいた街には一緒にバンドできるようなひとがいなかったんですよね。だから、そこしかないと思って。で、バンドを組む相手を、軽音楽部のメンバー募集の貼り紙を見て決めるんですけど。先輩のバンドがボーカルを募集してて、貼り紙みて「うおおおお」って。バンドやるって夢を描いてたんで、ときめいちゃって(笑) 実際にそのバンドを見に行ったら、軽音の中でもうまいひとたちが集ってたバンドだったんですけど、リーダーがPIERROT(ピエロ)っていうビジュアル系のバンドが大好きで、PIERROTの曲しかやらないんですよね…。最初っからすごいところに入っちゃったなと…。
加藤 ビジュアル系としてデビュー(笑)
ミヤオ 見た目はすごい地味だったんですけど、1オクターブ上でPIERROTうたえたんで「やたらうまいヤツが入ってきた!」みたいになって。でもPIERROTしか唄わせてくれない。胸に『FUCK YOU』』って書かれた服を着たリーダーに「ミヤオさん!これ次の曲だから!」ってMDと楽譜渡されるんですけど、毎回PIERROT…。
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加藤 えっちゃんとは?
ミヤオ 先輩が卒業して、そのバンドは解散したんで、フリーになって(笑) まわり見渡したらえっちゃんが別のバンドやってたんで、そこにボーカルとして呼ばれて。先輩たちがいなくなったから、週4とかで部室も使えるようになったんで、自然とオリジナルをやるようになって。
加藤 それは誰かが書いた曲?
ミヤオ どんな流れで作り始めたのかはあまり覚えてないんですけど、私が作ってましたね。アレンジまで考えて、みんなに渡して、やってもらって。みんなには好きにいじってもらっていいからって言って渡すんですけど、そのままみんなやってくれて。ライブハウスが近くにあったんで、そこでもやるようになって、仲のいいバンドとかもできて、自然と人脈も広がってって。楽器屋さんと仲良くなって、使わなくなった機材を譲ってもらったり、部室がどんどん充実していったり。熱意を持ってやってたっていうより、なるようになっていったって感じで…。あまり覚えてないです(笑)
加藤 そもそも曲を作れるのがすごいよ。中学の時に勉強してたの? なにかに影響されたとか。
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ミヤオ カジヒデキとATARI TEENAGE RIOTが好きっていうお姉ちゃんが『ミュージックスクエア』(ラジオ番組)をよく聞いてて、お姉ちゃんがいろんなバンドを知ってたんでその影響が大きいかもしれないですね。あとは『インディーズ・マガジン』(雑誌)が地元の本屋に毎月2冊だけ入ってて、毎月私しか買ってなかったと思います(笑)それでいつのまにか音楽詳しくなってて。
加藤 それはバンドやりたいなって思うよね。
ミヤオ 進学校だったんですけど、制服が私服だし、生徒の課外活動とかに理解があるわりと自由な学校で、お姉ちゃんが先にその高校に入ってたから、そこに行きたいなって。バンド活動とかで授業にあまり出れなくても、ちゃんと単位が取れればOKみたいな感じの学校で。先生も「ミヤオさんのバンドは音が大きくてよくわからないけど、がんばってるみたいだから応援する!」って言ってくれるような。
加藤 ええ! その高校行きたかったなー! 大学は? 音大系?
ミヤオ いや、バンドばかりで勉強ぜんぜんしてなくて…。進学校なんで順位とかも毎回出るんですけど、いっつも下の方で。でも、だんだん音大に行ってちゃんと音楽やりたいなって思うようになるんですけど、気づいた時には先生に「もう遅い」って言われて…。ピアノとかも弾けたんですけど、音大ってそういうレベルじゃなかったらしく、現実的じゃないと…。じゃあできるだけいろんな面白いひととたくさん出会えそうな大学を目指そうと思って、早稲田で、目指して、で、いろんな学部受けたんですけど、その中でもあまり人気のない学部になんとか入れたって感じで。一緒にバンドやってたえっちゃんも早稲田受かって、当時仲良かったバンドのコたちも早稲田に入れて、「みんないる!」っていう感じで、そのままバンドを。早稲田で何かを学びたかったって理由がなかったし、バンドやってると授業についていけなくて。結局3年の終わりに中退するんですけどね(笑)
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加藤 その頃はもうthai kick murph?
ミヤオ ですね。大学2年生くらいでthai kick murphがアルバムをリリースして、少しずつ知ってくれてるひとも増えてきて、売れてるっていう自覚はなかったんですけど、同じ早稲田の音楽サークルでも、だんだん売れ始めるバンドが出てきたりして、「近いところにいるなぁ」とは思ってたから、高い学費を払ってやりたくもない勉強をするより、音楽で売れれば食べていける!って思うようになって。学歴なんて関係ない! って思って辞めたんですけど、いざ辞めてみると『所在のなさ』がすごい(笑)わたし、なにもない! と。
加藤 だよね。
ミヤオ こうなりたい!っていう覚悟だけで決めたと言うか。どうすればいいかっていうのは具体的に見えてなかったんだけれど、でもとりあえず足元で自分をささえてるものは一回捨てて、やってみようかなって。で、いまに至ってます(笑)
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加藤 でもさ、『うた』っていう武器があったからだよね。ようちゃんズバ抜けて上手だもん。ぼくなんかさ、小さい頃さ、風呂で歌うたってたら家族中に「音痴だからやめて」って。
ミヤオ それは私も言われてました。お姉ちゃんとハモってても、母親に気持ちが悪いからやめて、って言われたり(笑) でもそれも、曲を聞きたくて、でも唄いたいしってやってたらハモればいいじゃんって思ってハモってただけで、自分ではすごくうまいと思ってたんですけどね。みんなでカラオケ行っても、私だけしか出せない高音があるっていうのがわかって、まわりのみんながうまいうまいって言ってくれてたし。「あ、うまいんだ」って。でも、母親からは「ずれてる」と。
加藤 きびしい(笑)
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ミヤオ でも、とにかく唄うのが好きだったんで、ずっと唄ってたらだんだん言われなくなってって。うまいって自負があったっていうより、好きだって言うだけでつづけてた感じですね。で、あまり覚えてないですけど、中学で「ボーカルってかっこいい」って思うのと同時に、「もしかして私、これできるんじゃないの?」って思った気がします。高音も出るし。家が医者で裕福だったってこともあって、ピアノもならせてもらってたし、絵の教室にも通わせてもらってたし、スキーもやらせてもらってたんですけど、ピアノはピアノがないと出来ないし、絵もスキーも道具がないとできない。でも、歌はからだひとつで出来るなって。
加藤 でもさ、歌をうたうってさ、同時に言葉も発信するじゃない。バンドでオリジナルをやるならなおさら。で、その時にさ、お金持ちの娘だったミヤオヨウは、なにを唄ってたの?
ミヤオ 覚えてないなあ(笑)とにかく歌詞を詰め込んでたのは覚えてます。曲の長さにくらべて歌詞がすごく長い。ネガティブでナイーブな歌詞だったと思います。いま見れば「こんなことわざわざうたうことない」って歌詞だと思いますけど、そもそも「こういうことを唄いたい!」って思って作っていたことはなくて、いまもそうなんだですけど、唄ってみて、言葉には「母音」がついてて、そこに詩を当てはめて、そこから出てきたことばを拾って、つなげる。みたいな、その繰り返し。それを無意識でやってたらメチャクチャ暗い曲が出来た、って言う。
加藤 あれ? わたし暗い? みたいな。
ミヤオ だから、歌詞を伝えたいって思ったことは過去いちどもない。日本語になってない時もあったし、単語として変な時もあったけど。こうした方がいいかもって変えたりするようになったのは最近やっとですかね。
加藤 逆に素直な作り方とも言えるよね。
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ミヤオ そう、唄うひとじゃなかったら良かったなって思ったことがあって。
加藤 ほう。
ミヤオ 『共感覚』っていう能力が、私の場合は全部が全部じゃないんですけど、すこしだけあって。絵でも景色でも、見ると音が聞こえるんですけど、言葉があると、それを限定してしまうんですよね。例えばすごいメロディがいいのに、別れの歌を唄われると、すごい満たされてて、幸せな時には聞けなくなってしまうっていうのももったいないし。言葉なんてなければって思う。だから、私が唄うひとじゃなくて楽器を演奏するひとだったら、どれだけのびのび音楽をやれたかって…。
加藤 たしかに。いいメロディも歌詞もいい曲って、シチュエーションどうであれ自然と言葉を無視できるかも。言葉がただの記号になってくというか、とはいえピントを言葉に合わせれば言葉もしっかり入ってくる。そういうのは曲としていい曲なんだろうな。もちろん、メロディいいのに言葉が雑な音楽は、台無し感がすごい。
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ミヤオ こんなに演奏がいいのに、こんなに音がきれいなのに、この曲ってどんな世界観なの? って言葉で説明しないといけないから。最近まではそれで苦しんでて。言葉を過小評価してたんだと思います。でも、いまは別で考えるようになって。どんな歌詞を書いても、これはこれで私なんだって、思えるように。できるかぎり、誰が聞いてもそのひとの聞く時の気持ちによってしっくりハマるような歌詞がかけたらいいと思うし、それにメロディが乗った時に、聞いてるひとの景色が色づいたらいいなって思ってて。でもやっぱり演奏だけで曲を作るのが本当にたのしくて、そういうのも時々やるんですけど、結局うたいたくなっちゃって、歌詞を書いちゃう(笑)
加藤 ぜいたくな悩みだよ(笑)
ミヤオ 言葉から解放されたいっていうのも、ただ語彙がないだけかもしれないし、目標はないし、みんなに届けるための方法はわからないけれど、いまは唄うために書こうって思えますね。本当に唄うのは好きだし、唄うしかないから、四六時中うたっていたいです。やりたいことをやるしかないんです。
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ミヤオヨウ / YO MIYAO
1987年、長野県出身。thai kick murphのボーカル。
様々なバンドへのfeaturingをはじめ、自身のバンド・ミヤオヨウバンドとしても活動中。
オフィシャルウェブサイト
thai kick murph "アイランド" (PV)
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