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おととしの大阪の夏。大阪の空は東京の何倍も広くて、これでもか、というほどの太陽エネルギーが街に充満している感じ。暑い。熱い。というより、激しい。
行き交うひとの話し声、足音、車、電車。ふ、とした瞬間に急に静かな街に入り込んだりする。その時は、入道雲のうねりと、蝉の声、そして歩き疲れて荒くなってゆく自分の呼吸しか、聞こえない。

みんな大きな声で笑って、大きな声で怒っている。
(ダンスが法で規制されてしまうんじゃないかというくらい)激しく踊っている。規制させないけれど。

陶芸家・玉山 弘季(通称:たまちゃん)

大阪で会うと3回に2回はヒョウ柄を身にまとっている。この前会った時は、いまにも空に飛んで行きそうな大きな翼がついたスニーカーをはいていた。

プリミティブ(原始的)なデザイン、色づかい、粒子感。衝動的なブラッシュアップ。まるで会話するかのような肌触り。すべての彼の作品の1つ1つの作為に、そんな大阪のムードと彼のキャラクターがフィットしていて、やけに納得している。

 

PHOTO&TEXT:JUNYA KATO(PARK INC.)

 

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加加藤 たまちゃんって仕事なにしてるの?

 

玉山 高校の美術の教師ですね。生徒が陶芸の授業を選択できる学校が2つあって、そこかけもちで。陶芸の授業って珍しいらしく、やりたい高校生って結構いてはって、募集かけると抽選になってるみたいで。

 

加藤 すごいね。ほぼ毎日?

 

玉山 授業は1コマずつなんですけど、陶芸ってメンテナンスというか、授業がない日も行って窯を見たり、生徒が扱いやすいように管理してあげるという準備ごとが結構あるんですよ。生徒もその授業のうちに仕上げないといけない。週をまたぐと土が乾燥してしまうし。陶芸って自然物というか、生もんなんで。最初はその管理もどうしたらいいか…難しかったですね。相手が高校生だと特に。器用な子、不器用な子っていう個人差もあるし、ケツたたかなアカン子もいるし。で、目標を立ててあげたり、自分だけの表現ができるようなカリキュラムを組んでますね。

 

加藤 そもそも先生になろうと思ったのは?

 

玉山 もともと陶芸やりたかったわけではなくて、ぼく鶴橋ってところ出身で、美容室の学校が多かったんすね。で、カリスマ美容師ってのが流行ってたこともあって「美容師になろう!」って。でも普通に専門学校行ってもアカンなって思って、大阪芸大(以下・大芸)行こうってなって。で、子供のころに山奥に陶芸しに行ったことがあって、そこで川遊びとかしてたのしかった思い出もあったから。手でモノを作るとか、好きだなって思って、陶芸のコースの面接受けて。で、「なんで陶芸を選んだんですか?」って聞かれるんですけど、ぼく「美容師になるためです!」って答えてたらことごとく落とされて(笑) 大芸の短期大学の方の面接では美容師のことは控えめに話したら、入れてもらえましたね。で、2年間そこでずっと陶芸を。

 

加藤 美容師は?(笑)

 

玉山 まだ少し念頭にはありましたよ。でも、その時に、大芸と短大合わせて、『登り窯』っていう薪窯を焼きに行くイベントがありまして、その時に、運命的な出会いがありまして。大芸からは3、4年生が来るんですけど、その中に『上田順平』ってひとがいまして、その人が、陶芸を語るのがすごく上手で、すごいカッコよくて面白い人で。「こんな真剣に陶芸やってるひとおるんや…」って思って。上田さんが短大終わったら大芸においでって言ってくれて。上田さんも4年終わったら大芸の院に行くし、みんな待ってるからって。そこで陶芸つづけようって決めましたね。

 

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PHOTO by Kenji Yamanaka

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加藤 短大から大芸に編入できるんだね。

 

玉山 デッサンと論文と面接の試験があるんですけどデッサンと論文、さんざんで。自分でも恥ずかしいくらい…。面接官に目の前で「なんやこのデッサン! なにしてたんや!」と。論文も最悪で、当時ドレッドだったんで、格好も怒られて…もうボロボロで。アカンかったなって思ってたんすけど、面接に持ってった花器だけはメッチャ褒められて。そこで、目の色を変えてくれたんですね。で、あとで合格の連絡もらった時に、作品が良かったからって言ってもらえて。

 

加藤 これで上田さんと一緒のフィールドで勉強ができると。

 

玉山 思ったんすけど、上田さん、大芸の院じゃなく、京都大学の院に行きよったんですよ。いてないやん!って。

 

加藤 待ってるって言ったのに(笑)

 

玉山 でも大芸でもたくさん出会いがあって、当時の先生に「教職の免許とらんの?」って言われて。でもその時、バンドもやってて、バイトもしてて、3年生になると陶芸の授業って課題が多くなるんすね。さらに教職の勉強ってなったら厳しいなと。でも、「陶芸の道は厳しいから、免許あるといいよ」って教えてくれて。ダメもとで挑戦してみようと。4年で、なんとか取れたって感じですね。ただ、免許あっても教師になろうって頭はなかったですね。

 

加藤 卒業してからは?

 

玉山 卒業制作展の時に作品を見てくれたひとが、大学の工房をたずねてくれて。その人、大阪の柏原市の山の陶芸教室で先生やってて、そこに登り窯もあるし、「そこに教えに来てくれへんか?」って。

 

加藤 ラブコールだ。

 

玉山 そう。なんですけど、単位ぜんぶ取れてなくて、補習でもう1年通うことに(笑) その間もずっとそのひと「来てくれ来てくれ」言ってくれて。一回そこ見に行くんですけど、古い日本建築のすごくステキなところで。庭にめっちゃデカい一本桜があって、雰囲気よくて「ここやったらええかもな」って。そこに教えに行くように。で、だんだんひとりで任されるようになった頃に、オーナーさんが、もう主人も亡くなってしまっていて、ひとりでは何もできないから「この工房を譲りたい」って言ってくれて。すごくええ話やなと。

 

加藤 ステキやん。

 

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PHOTO by Kenji Yamanaka

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玉山 同時にその頃、別の出会いで知的精神障がい者の施設でも陶芸を教えないかって誘われてて。最初、「障がい者」ってことで面食らってたんすけどね。「電車の中で奇声あげたりしてるひとか〜」くらいの認識だったんですけど、正直、実際に行ったらもうとにかく凄くて…「こんなんどうやって教えたらええんや!」って状態。でも、そこ、もともと陶芸教室をやってた施設だったんで、窯はあったんですけど、素人がやってるもんで、ゴミとかもたまってるし管理がムチャクチャで…。障がい者相手ってことで、誰も教えてくれなかったみたいなんですよ。だから、最初は教えにいくというより、片付けにいかな陶芸がかわいそうや、と。

 

加藤 陶芸でアウトサイダーアートかぁ。

 

玉山 そう。その時ちょうど興味があったのがアウトサイダーアート。最初はもちろんうまくいかなかったんですけど、ひとりひとりの個性がわかってくると、それぞれできる能力を使って、作品を作ればいいんだと思えるようになって。そしたらみんなどんどん作れるようになって、それを展示販売するんですけど、売り上げも2倍、3倍とあがってきて。仮面ライダーの話を全部覚えてるひとがいて、そのひとは仮面ライダーの立像を作れるし。

 

加藤 いいね。

 

玉山 で、柏原の方とうまく両立してやっていけたらなと思ってたんですけど、施設の方は、国から助成金が出るのを機会に窯を壊して、内職の軽作業場にするって言い出して。ホンマあほか、と。せっかくみんな作業おぼえて、健常者と触れ合う機会も増えてこれからやって時でしたからね、メッチャ反対したんですけどね。全く相手してもらえなくて…。

 

加藤 ひどい…柏原の方は?

 

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玉山 ギリギリになって急に「建て売りの物件にして売る」と。それまで、この場所でこうしてああしてってイメージが沸騰してたし、そこの生徒さんもたくさんいて、そのひとたちのことを考えたら、納得いかなくて、かなり説得したんですけどね。「一回うらない行こう」って言われて…。

 

加藤 占い!(笑)

 

玉山 占いで「こんな若い人に譲るべきじゃない」とでも言われれば、おとなしくなるとでも思ったんでしょうね。ほんだら、一発で「譲りなさい」って(笑) 「このひとは物づくりの星に生まれてるし」って、ええ!って感じですよね。ほんま嬉しくて。それに「このひとは亡くなられた旦那さんとも会話してる」って。で、メッチャ驚いたんですけど、教室が終わってみんな帰った後に、ホンマにひとりで土下座して、お願いごとしてたんですよ。「ここを譲ってください…」って。これ…キタな…と。

 

加藤 お、じゃあその場所は譲ってもらったんだ。

 

玉山 いや、帰り道で、「あくまであのひとの意見だから」って。も〜これはアカンって(笑) 自分でやるしかないなって。そこから物件探しまくって、そしたらちょうど鶴橋の隣の玉造の商店街に物件を見つけて。奥に庭があって、大きな木があって、吹き抜けになってて、元々花屋だったらしくて、一階部分はコンクリートで、これならすぐに工房に出来るなと。

 

加藤 窯は庭にあるんだよね?

 

玉山 そうですね。玉造でよく一緒に呑む仲間たちみんなに手伝ってもろうてて、特注の窯もバラして運び入れて、窯の下の土も掘って。壁の色も赤から白に塗り直して。

 

加藤 ステキやん。

 

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玉山 で、話を戻すと、まだ施設で教えてる時に、高校で教えないかって誘ってくれてたひとがいて。でも施設のみんなのことを考えたらできないって断ったんすよ。でもさっき話したみたいに、あの窯がなくなるなら施設にいる理由ないな、と思ってた時で…。そうしたら、また次の年にも高校で教えないかって誘ってくれて。

 

加藤 誘われるね〜。

 

玉山 終わっていくと、また次の新しいことがはじまるんやなと思って。で、いまに至ってます。

 

加藤 今後はどうしていきたいの?

 

玉山 工房の入り口側が荷物置き場になってるんで、整理してお店にできたらなと。友達で染色をやってるコがいて、ぼくが器作って、それに絵を描いてもらうっていう。それがすごくいい感じなってきてるんで、今後はそういったひとたちと一緒に作ってそこで販売して行きたいですね。ひとによって能力も違うし、陶芸の見方が違うんで。

 

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加藤 たまに納得いかなくて割ったりしないの? よくテレビとかでみるやつ(笑)

 

玉山 あんなん絶対に割らないと思ってたんですよ。そんなんもったいないから。でも最近は割るようになってきました(笑) 割った後に「あ、これか…」って。オレ、いま割ったわ…って。でも陶器に罪はないし、申し訳ない気持ちなんですけれど、やっぱ見せるの恥ずかしいんですよ。逆に言うと自然物ですからね、思ってもみなかったものがあがるから、たのしいんですよね。窯の中で完成するんで、今でも窯だしのタイミングは感動します。

 

加藤 想像以上のものができあがったりね。

 

玉山 そう。それに陶芸って1つ1つの行程をしっかりちゃんとやらないと、良いものができないんで、土や窯に正直にていねいに向き合うことが、生活もよくするんやでって、高校生のコらには教えてるんですけどね。まぁ自分ができてないですけどね(笑)

 

加藤 そうなんだ(笑) 正直にかぁ…やってみたいなぁ。

 

玉山 また大阪来る時はぜひ!

 

加藤 玉ちゃんマジメだなー(笑) 大阪ニュートラル、特に笑いなしという感じで良かったですかね。

 

玉山 アカンアカン! それはアカンって! いや、ホンマ全然ユーモアなかったっすよね? 編集で笑い多めにしといてください!  

 

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PHOTO by Yuka Yamaguchi

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玉山 弘季 / HIROKI TAMAYAMA

 

1982年 大阪鶴橋生まれ。

2005年 大阪芸術大学卒業後、大阪柏原にて陶芸教室を主宰。

2008年 社会福祉法人ひびき福祉会にて精神障がい者支援のための陶芸を主宰。

2009年 玉造にアトリエ兼教室をオープン。陶芸教室以外にも、さまざまな分野の作家との企画・ワークショップを展開している。

 

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